今日は父の誕生日です。
いったい何歳になるんだろう???
(平成になってから、年齢の計算が面倒になってしまった・・・)
父は、家族のためにそれはそれは実直に働いてくれました。
私達兄弟3人を、分け隔てすることなく程よい距離で可愛がってくれ、
父親らしい父親でした。
そんな父を毛嫌いしていた時期がありました。
小4から高3までの9年間、ほとんど口をきかずに無視に近い状態で
一つ屋根の下に暮らしていました。
父の何が・・・という理由は特にないのですが、よくある思春期の
ものだったのだと思います。
でも、短大の入学金や学費の金額を見たときに、
「私は、父が働いて持って帰ってきてくれるお金のおかげで短大に
いけるんだ」
と気がつき、自分一人で生きているかのようにふんぞり返っていた
自分を、とてもかっこ悪く思いました。
そして、そんな私に特になにか言うでもなく、相変わらずの程よい
距離で見守ってくれていた父の大きさをかっこよく思いました。
そして、短大入学直前の4月4日に、ネクタイをプレゼントしたのです。
驚いた顔で
「あ、あ、ありがとう。」
と受け取った父の顔は忘れられません。
これで、この9年間にピリオドを打った!と満足の私。
・・・でも数年後、
「9年ぐらい口をきいてなかったよなぁ。」
と話をすると、父も、そして家族も
「へ?知らんわぁ。」
という返事。
え???
大層なことだと思っていたのは私だけ?
当事者である父でさえ、そんな風に思っていなかったの?
無視されていることに気がついていなかったの?
それ以来、同じ時代、同じ時間、同じ空間に生きていたとしても、
同じ事を体験しているとは限らないと、物事を観るようになった私です。
だから、なんてことない時間や空間を同じような感覚で受け取りあってる
ときの、繋がってる感や、含まれてる感を感じるとほっとします。
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